ハンドル名に続き、ウェブサイト開設25周年記念として、25年前にHPを開設した理由や経緯について話します。これもハンドル名同様記憶を頼りにしていて、何か正確な記録が文章であるわけではないのでなんか不正確だったり前回と整合性がない部分はご容赦ください。
HPを作った直接的な理由は自己紹介にもある通りで、当時契約していたプロバイダが容量をくれたからです。これ自体は別に嘘も偽りもない事実です。というかきっかけ…トリガー…直接的な理由はそれなので正しいです。ただ、自己紹介では当時の背景を結構色々端折って雑に書いてるので、今日はそれを補足します。
この容量というのは10MBでした。現在では下手すると画像1枚すら入るか怪しい容量ですが、2000年当時のWEBサイトやメールボックスの容量としてはよくある容量で、100MBは「大容量」と言っても過言でも誇大広告でもなんでもない時代でした。
ちなみに、どうでもいいんですが、そのプロバイダというのはエンドレスネットというプロバイダで、ルミーズの前身です。また、容量をくれた当時は「エンドレスアドバンス インターネット事業部」という名前で、どうもエンドレスアドバンスの事業の一つという感じでした。これはいつの間にか株式会社エンドレスネットに変わっていました。
また、今は変わってしまいましたが、まだエンドレスネット株式会社があった時代のエンドレスネット株式会社のウェブサイトのドメイン(www.endless.ne.jp)のAレコードと、エンドレスアドバンス株式会社の(www.endless-sport.co.jp)のドメインのAレコードは第3オクテットまでは全く同じで、第四オクテットの末尾の桁の数が1つだか2つ違うだけでした。
というか今調べたら今でも第2オクテットまでは同じで、同一のホスティング業者使ってますね。ただ、現在の両者の関係は特に調べていないので謎です。
<digの結果>
www.endless-sport.co.jp. 86283 IN A 119.245.185.4
remise.jp. 300 IN A 119.245.147.223
※理由はわかりませんがTTLが結構違いますね。。。
<Whoisの当該アドレスの結果>
inetnum: 119.245.185.0 - 119.245.185.255
netname: RENTALSV-NET
descr: Server Hosting Service (NTTPCCommunications,Inc.)
inetnum: 119.245.147.0 - 119.245.147.255
netname: RENTALSV-NET
descr: Server Hosting Service (NTTPCCommunications,Inc.)
※/24で切られてますが119.245.0.0/16全体が同じ持ち主で、持ち主はInfoSphere(NTT PC)。
ホームページ作成計画
おっと、話が逸れましたね・・・元に戻します。このサイトは2000年05月15日開設ですが、Webサイトを作る計画は1998年末頃には既にありました。これは2号機の紹介やハンドル名の紹介のところでも触れています。
このWebサイトを作る計画は2つの要素がありました。それは
1つめは「Yuaiho名義で【Yuaiho Softwareと言う名前のHP】を作る
2つめは開設したHPで【自作のソフトウェア(HyperCardスタック)を公開】する
というものでした。
こちらのハンドルの由来でも触れたようにこの計画の2つの要素のうち、2番目の要素である【自作のソフトウェア(HyperCardスタック)を公開】の部分はポシャりました。まぁ、前述の通り、絵心も技術力もアイディアも碌に無いのにスタックが完成するわけがありません。残当です。
そして、というか、しかし、というか”HP容量を貰えた”といのをきっかけにして残った1番目の【Yuaiho Softwareと言う名前のHP】を作るの部分だけを無理矢理実行に移してHPを開設しました。これが今の「Yuaiho17」です。開設当時は「YuaihoのHome Page」と称していました。これが、「HP容量を貰えたから作った」と言う理由の裏にある理由です。
つまりどういうことか?
つまり、ホームページ/ウェブサイトを作って公開する本来の目的が消えたのにも関わらず、なんとかHPだけそれっぽく作って公開し(ちゃっ)たということです。「見切り発車」「無計画」「向こう見ず」「やっつけ」という感じですね。三つ子の魂100までと言いますが、少なくとも25年程度ではあまり変わらないようです。
まぁ上では格好よく「計画」とか言っちゃってますが、実際は単に目標とか構想に近い物で、当然の如く計画書やWBS・線表のようなものはありませんでした。
この目標とか構想に近い計画のような何かを実行に移すと決めたのは2000年の4月頃だったと思います。実行に移すと決めた時点ではサイト名も未定ですし、公開できるHTMLファイルはたったの1ファイルたりともありませんでした。というか決まっていたのはURLとトップページの背景色だけです。まぁ、URLはISPと契約した時点で決まっていたので別に私が決めたわけではないですね。
もう一つだけ決めていた背景色ですが、これはYuaiho Softwareの構想時点で「トップページの背景色はピンク色にする」ということだけは何故か決めていました。理由は不明ですが、まぁたぶん単なる好みでしょうね。今のトップページの背景色(#ffe1fc)はこの構想を実行に移したもので、開設以来全く同じ背景色を延々と使い続けてます。WayBackMachine見るとわかりますが、どの年も背景色だけは同じです背景色だけでなくホームに並んでるコンテンツも20年以上変わり映えしませんけどね。
この背景色、永らく使ってますが決め方は結構いーかげんで、Color Picker(Macのシステムで標準的に実装されているカラーパレット)からピンクっぽい色を適当(雑)に選んだものです。たぶん誰も気にしていないと思うのですが、ホーム以外は背景色は2020年以降に作成したコンテンツでもほぼすべてがWebセーフカラーなのに、ホームだけが頑なにWebセーフカラーではないのはこれが理由です。まぁ、当時は四半世紀後も存続するなんて思ってないのでこの辺りは適当(=いーげん、雑)です。
今見るとピンクというより赤紫っぽく見えると思いますが、これは当時使っていたCRTモニタの色温度が9300Kだったせいだと思います。9300Kだと青みが強いので薄い紫〜ピンクになります。今はsRGBにしてるので見え方変わっちゃってますね。
ほとんど見えないこのブログのピンクっぽい背景色も実はこの色です。
見切り発車だったので開設当初はネタがあるはずはなく必死でネタ探しして作って公開してました。初期のコンテンツが取って付けたかのようにいまいち短くて雑なのはそう言う背景です。まぁ、あれでも一応オリジナルコンテンツですし、短く見えるののは今基準だからであって、当時のウィンドウサイズ(SVGA=800×600)基準としては十分な長さに見えたんですけどね。
公開当初はYuaihoのHome Pageというサイト名でしたが、リンクしていただいた時に字面がダサいと思ったので1年ぐらいでYuaiho17に変更しました。
こんな感じで今から25年前の2000年5月15日(月)にYuaihoのHome Pageというサイト名でひっそりと開設して今に至ります。ひっそりとか言いつつ当時はQ&A掲示板の署名欄で広報してましたけどね。5/15という日付や特に意味はありません。強いて言えばこの日にやっと公開できる形になった、というところでしょうか。
まとめ
まとめるとこんな感じです。
今なきHYPERCARD PARKで活躍されているスタック作家さんみ見た若きYuaihoは、こんな計画を立てました。【Yuaiho名義で「1. (Yuaiho Softwareと言う名前の)HPを作って」「2. そこで自作のソフトウェア(スタック)を公開する」】と。
しかし諸々の残念な理由で2番目の要素は実現困難になり、計画の目的(公開するもの)は消失。
でも、HPを持ちたくて仕方なかったYuaihoは、ISPに容量を貰えたこときっかけに、手段を目的化してなんとかそれ以外のコンテンツで2000年05月15日にHPデビュー。見切り発車だったので最初はネタに苦労しました。
まとめるとかなり酷い内容ですね。
その後、HyperCardスタックは完成しませんでしたが、結局はHP公開の3年後の2003年から習作レベルですが自作プログラムの公開を始めました。2003年までHP作る機運やキッカケがなかったらこのサイトはちゃんとYuaiho Softwareになっていたかも知れません。
今後
最近はレンタルサーバの維持費よりもドメイン維持費の方が高いのですが、とりあえず私が死ぬか、ドメイン周りにトラブルが出るか、ドメイン更新忘れるorなんらかの理由で出来なくなるまではWebサイト自体は存続すると思います。
Xを見てると私どころかこのサイトよりも若い方がいて、そういう方々を見るとこのサイトも永くやってるなーという気分になります。
ジオシティーズ、Infoseek、So-net、IIJ4Uと言った大手のHP公開サービスの終了で 20世紀から存続するサイトは大量絶滅してしまいました。また、いち個人が公開するコンテンツもSNSやnote.comやqiita等の台頭でこのサイトのような(非営利・趣味の)個人サイトは絶滅危惧種とまで言われています。
実際、前世紀から運営している個人サイトを探すのは有名どころ以外は結構難しいですし、前世紀と言わずとも2000年代初頭であっても普通にレアなレベルです。というか、まぁ、あるはあるんですが、ラーダ・ニーヴァの如く原型保ってるサイトは結構希少だったりしますし、古い話で困った時に頼れる最後の砦が個人サイトだったりしますので、コンテンツは充実させつつもあまり雰囲気を変えずに残せたらなと思ってます。