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11号機の思い出|初の専用機設計と防塵実験機

昔話です。

10月25日は今無き11号機の竣工日です。このマシンはMacintosh LC 475の後継機のメールサーバとして組んだマシンですが、初の専用用途設計と初の防塵対策の検証機という2つの側面を持っています。今回はメールサーバではなく、専用用途設計という自作機の設計に至るまでの過程と、防塵対策の実験に敗北について書きたいと思います。

11号機の概略

1号機の概要はここ(さっきの11号機と同じリンクです)です。要はPrescott-V Celeron D 331を積んだベアボーン機です。Pentium Dはデュアルダイ※(≒大体デュアルコア相当)ですが、Celeron Dはシングルコア・シングルダイのCPUです。マルチコアとかアウトオブオーダーとかそういうスマートな概念はなくて、純粋にクロック周波数の高さ(と発熱量)で殴るタイプのCPUを積んだマシンです。

デュアルダイというのはCPUパッケージにダイを2個詰んだCPUです(正確にはMCM)。現代のコンシューマ用CPUは通常1つのパッケージに1つのダイが存在し、そのダイの中に複数のコアを実装してマルチコアを実現しています。しかし2005年ぐらいまでのCPUは1ソケットに1ダイ1コア(シングルコア)が普通でした。コアが複数欲しい場合はCPU自体を複数搭載するのが一般的でした。で、2005〜2006年頃はデュアルCPUからデュアルコアへの過渡期で、そのなかでシングルコアのダイを2つ、1つのパッケージの中に無理矢理押し込んで“デュアルコアのような何か”にしたのがこのPentium Dです。PCからのデュアルダイの見え方は今のデュアルコアと大きくは変わりません。まぁHTTもありましたね。

後継機は13号機初期構成です。諸事情あって11号機は2年足らずで引退させましたが、引退後はPrescott-Vの消費電力の高さ、ケースの排熱能力の低さから11号機2期構成にはせず、検証や作業でで一時期に使ったのち廃棄しました。

専用機設計

11号機は初の専用用途設計のマシンです。専らメールサーバとして運用するため設計となっています。専用用途設計とは、本記事では用途変更、つまり他用途への転用を一切考慮せず、当初の用途に特化して最適化した構成のマシン(ほぼ自作機)のことを言います。

実は10号機以前の2台ある自作機は汎用用途設計になっていて、ライフサイクルの中で用途変更を考慮しています。潰しが効く設計ということです。そのため2台ともATXマザーを積んだミドルタワー機でメモリスロット、PCI、ストレージ(当時はHDD)も多数搭載可能なようにしていました。また光学ドライブを標準装備にしていました(当時はUSBメモリからブートできないのが普通でした)。まぁ当時も金が無かったので多数搭載可能ではありましたが、1台しかないのがザラでした。

そんな感じの用途変更を考慮せず、メールサーバ運用に特化した構成、つまり専用用途設計で初めて建造したのが11号機です。ストレージ(当時はHDD)は増やさないので1台ないし2台も積めれば十分とし、当時標準として光学ドライブも「必要な時は他のマシンから一時的に借りてくればいいや」として省きました。また、PCIも「積まないから要らない」として極小化し、メモリも2スロットに抑えて、MicroATXで構築しました。こうすることでマシンの小型化・低コスト化を実現したのが11号機です

小型化するならMini-ITXじゃないの?と思うかもしれませんが、2006年当時はマイナーなフォームファクタです。2026年現在でいうとMini-STXとかMini-DTXとかぐらいのポジションです。Mini-STXやMini-DTXがMini-ITXのようなメジャーなフォームファクタになるかはわかりませんけどね。

なぜ専用機設計になったのか?

11号機は「計画外機」だったので、汎用用途の設計にする金がありませんでした。これが真相です。

私のマシンリストをみると大量に自作機がありますが、11号機と34号機以外は全部「計画機」です。計画機は前々から購入が必要なことを認識していて、構成検討ののちに資金確保してからに導入しています。

計画外機は「どうにかして新造しないと困るからとりあえず建造する」という状態で建造します。流石に予算表はありますが、今すぐに出せる金額が合計の上限で、構築期間も今日秋葉行って作るとか、通販だと調達のリードタイム込みで2〜3日で作ってたりします。パーツも極力予算カットして作っています。

さて、11号機の先代のMacintosh LC 475(3号機 1996年製)は、2006年10月に入ってからサーバダウンが頻発していました。原因がHDDなのはわかっていたのですが、この先代機のHDDはNarrow SCSI(50pin)という20年前(2004〜2006年当時)ですらも秋葉ではレアと言って差し支えないIF規格で、互換性があったSCA80という規格のHDDすらも入手が難しくなっていたのが当時の状況です。

そんな状況だったのでいいかげん新しいマシンを新造しないとまずいのは百も千も承知だったのですが、この時期は金の余裕が全然ありませんでした。実際、秋葉原行って構成を練る(※)も手持ちの資金で買える額にならない、という状態で結構困っていました。

※秋葉原行って構成を練る: 2006年当時は2026年現在と比べるとPCショップが比べ物にならないぐらい多く、店頭回って安い店でパーツ買い回って組んでいました。

ただ、とはいえ、LC475のメールサーバの方は運用がままならない状態なので、今日マシンが自作できるパーツ1式をアキバで買って持って買えるというのが当時、というか20年前の10月25日の至上命題でした。

専用機誕生

そこで、どうにか手持ち資金に納めて自作するため、メールサーバ専用機にして転用なんか考えない、つまり専用設計ということにして、光学ドライブなどの当時標準としていた装備の省略や、メモリを大胆にケチって、ソフマップだかで見つけたベアボーンで徹底的に安く作ったのが11号機です。

こんな感じで11号機は一式を23,000円で新造しました。

本体、電源、マザボ、メモリ、HDD全部新品で買ってこの金額です。本体、電源、マザボがマウスとキーボード付きのベアボーンで9,900円でした。安い安い言ってますがベアボーンキットを安く買えたのが大きな要因です。この辺は概要で書いてある通りです。この23,000円で新造ですが、20年経った今でも最安で、私の中で全部新品でこれより安く建造できたマシンはありません。

その後の11号機と得られた知見

11号の評価はここで書いてある通りです。本体、電源、マザボが9,900円という破格の値段だったと言うのはまぁ、そういうことです。まぁPrescott対応マザーの割に排熱の弱そうなケースだった(そして実際に弱かった)ので売れてなかったんでしょうね。

ただ、専用機にすると汎用用途にするよりも小型で安価に作れることという知見は得られました。以後、13号機以降は導入時点で専用機、つまりマルチロールを目的にしていないマシンはすべて専用用途設計となり、マルチロールでもないのに転用を見込んで汎用用途設計で自作することはなくなりました。

ただ、専用用途であっても20号機や35号機のような搭載ストレージ数や増設スロット数が求められる用途のマシンは、専用用途であってもどうしても汎用用途に近い構成になってしまう現実があります。

専用機設計ってどうなの?

これは私の意見ですが、単一用途のマシンは特化した専用設計で作るべきだと思います。マルチロールが要求されるマシン以外を汎用用途設計で組むのはおすすめしません。

理由は単純です。用途変更なんてほとんどしないからです。私の自作機はベアボーンやNUC、ATX規格の市販機も入れると30台以上ありますが、ライフサイクルの中で実際に転用(用途変更)したのは16, 19, 29, 30号機だけです。

そしてこの中で元は汎用設計と言えるのは16号機の1台だけです。それ以外は専用用途設計です。まぁ汎用設計と言っても16号機の実体はNECの安鯖です。特に汎用用途向けに設計したわけではありません。単に買った時点で中身は汎用用途向けの構成だったと言うだけです。

つまり、30台もあるのに全体で転用したのはたったの13%、しかも用途変更前提の構成で実際に用途変更したのはたったの4%未満なのが過去の実績というわけです。たった4%のために使うかどうかわからない部分にコストをかけて、大型の筺体を用意する汎用設計でPCを構築するのが妥当か否かという話です。

なぜ転用されないのか?

では何故転用されないのか?を考えてみましたがこんなところです。

  • 元の用途が消えない。
  • 問題の無いケースは更改して使われ続ける。
  • 運用年数が長い。

そもそも転用や用途変更というのはそのマシンの元の用途が無くなるから出来る話です。

しかし、元の用途がそんな簡単に消えてなくなるかというと、それはまずありません。そもそも専用用途機はマシンを買ってまで導入します。また汎用用途設計のマシン、つまりマルチロール機は様々な用途に耐えるべくそれなりに建造費が高額で用途もいっぱいあります。つまり、専用用途設計だろうが、汎用用途設計だろうが、元の用途が消えることほとんどありません。

数年に一度ですが更改というイベントがありますので、その時にもそのマシンの用途が無くなる時期が来ます。ただ、更改というのはケースが問題なければ、中身だけ入れ替える更改が1番楽です。なので、更改ではPC一式が余るということはなかなか無いわけです。ある場合はそのケースは問題ありで、元の用途では困るが転用先で問題がないという希少なパターン以外では使い道がないわけです。

そして、私の場合、安定した構成は運用年数が長いことが挙げられます。

マシンを他の用途に転用するには転用先でも運用に耐えられるだけのスペックが必要です。言わずもがなと思いますが、運用年数が長いとこれが結構厳しくなってきます。

極端な例ですが、例えばN100という2023年のCPUがあります。2024年に組んだ37〜39号機で使っています。N100はIntel 12世代のAlderlakeに相当するCPUで、PコアがなくEコアだけの構成です。このEコアの性能はIntel第6世代のSkylakeと同等の性能とも言われています。Skylakeと言わないまでも2013年ごろのIntel第4世代のHaswellであってもi7-4770Kでもフルパワーでぶん回せばベンチレベルでは負けるとも劣らない部分があり、同等と言って差し支えないパフォーマンスがあります。

じゃあN100と同等に近い性能を叩き出せるからといってIntel Core i7-4770Kが2026年でも実用的かというと答えはNoです。i7なので消費電力がN100とは比べ物にならないほど高いですし、冷却が必要なのでやかましいです。またメモリは4枚は積まないと(37〜39号機と同じ)32GBになりません。もうこれだけでも嫌です。PCI Expressも良くてVersion 3です。2026年基準ではあきらかに見劣りします。また、長年使われているとなると故障も心配です。

こんな感じで運用年数が長いと性能自体はなんとか足りたとしても、新造してしまった方が総合的に見て有利になってしまいます。

こんな感じで転用を見据えても、安定した構成であれば用途がなくならない。用途がなくなっても使い込まれていると買い換えた方がメリットがある。こんな感じで転用されることが少ないのが私の環境です。

これでは転用を見据えた設計がなくなるのも残当だということです。

11号機の防塵対策方法

ここからは防塵の話です。

実は防塵は8号機でも一部試験的に入れていて、8号機の一部の吸気ファンには金属製の吸気フィルタ(こんな感じのやつ)を入れていました。ただ、8号機のファンはフロントパネル内部に付いていて電源ONや筐体を閉めたでは清掃が困難だったため、その反省を活かして外から容易に触れられるところにフィルタを付けることにしました。

11号機はブック型ケースで、5.25インチベイはCDドライブのフロントベゼルがそのまま露出する造りだったので、この5.25インチベイを光学ドライブを搭載せず空けたままにしてそこを主吸気口とし、FDDドライブベイのFD挿入口を副の吸気口とすることにしました。

フィルタは使い捨てマスクを解体して、中層に配置された不織布であるメルトブローン不織布(参考: THE MAKING(319) 不織布マスクができるまで by 科学技術振興機構)を取り出してこれを3M スコッチの「はってはがせるテープ」で吸気口に貼り付けていました。

フィルタに使い捨てマスクを利用したのは調達コストと加工(カット)のしやすさからです。フィルタは交換が不可避なので調達コストを無視するわけにはいきませんでした。中層を使ったのは、マスクのフィルタは中層が薄く、残存応力が小さいためです。マスクはプリーツ構造をとっています。外層は厚くてどうしてもプリーツの折り返しの残存応力が大きいため、3Mスコッチのようなあまり粘着性のないテープでは剥がれる可能性がありました。なので比較的薄くて、ゴミの通過がしにくいであろう中層を使っています。

3M スコッチの「はってはがせるテープ」は剥がして張り替えるという前提だったため糊残りが少ないものを探した結果です。まぁ今ならスリオンテープとか使いますが、当時の知識や調査力ではこんなもんということです。

23,000円で建造した11号機にはこんな感じで初めて本格的な防塵対策を行い、5号機の後継としてNetBSDをインストールして前線に送り出し、サーバ切り替え作業を経て稼働を始めたというわけです。

11号機の防塵対策の知見

ではこの防塵方法がどうかというと失敗でした。

どんな点が失敗だったかというと、「フィルタという交換しなければならないエレメント」を使用しているのにも関わらず交換のタイミングが非常にわかりにくいことでした。そのためフィルタの交換時期を逸してしまい、フィルタの通気損が激増しました。その結果、吸気口が吸気口として機能しなくなり、挙句筐体の隙間という隙間から空気を吸い始めて隙間という隙間が埃だらけになってしまいました。

フィルタは不織布で機体の正面に貼っていたんですが、このケースは前後方向に貫通部がありませんでした。排気ファンは上部にありましたがパンチングの下にありケース内に光が入りにくくフィルタの色の変化が非常にわかりにくかったです。設置場所も暗かったこともありケース内部が真っ暗に近いものでした。つまり前面に不織布こそありましたが、奥が真っ暗なのでフィルタの色の変化までは気付きにくいという欠点がありました。

実際、引退後にフィルタを外して見ると全然色違うやんって思ったのですが運用中は気付きませんでした。まぁ、色が少しついてるなぁぐらいの認識はあったのですが、どれぐらい汚れいているかがわかりにくかったです。

得られた知見としては「フィルタをつけるとちゃんと防塵できる」。しかし「フィルタの交換時がわからないといずれ詰まって機能しなくなる」でした。後継の13号機以降はこの11号機で得た知見を元に防塵が行われます。

ちなみに、知見がある割に、19号機でも同じような構成をとってやはりフィルタが詰まりました。これは別枠で語りたいと思います。

まとめ

11号機建造から20年経つため、当時の状況を踏まえて専用設計という概念の誕生と汎用用途設計で専用機を作る無理加減、並びに防塵の実証実験機だったこと20年記念に書いてみました。

専用機を汎用設計で作るデメリット、防塵対策としてフィルタを使うことの知見について、皆様の糧になればと思います。

防塵は続きがあるので別枠で続けたいと思います。