割と危なかった秋葉原通り魔事件

 2008年にあった秋葉原通り魔事件の犯人(加藤智大死刑囚)の死刑が今日執行されたみたいですね(産経新聞)。色々ある方もいると思いますが、犯人がこの世からいなくなり一旦幕引きという感じでしょうか。

 この先はまぁ昔話です。

 この事件があったのは2008年06月08日の日曜日です。私は当時15号機を建造中でした。15号機のパーツ一式自体は同年06月04日に秋葉原で買ったですが、稼働前のチェックでmemtestとMHDD(※1)の試験がパスせず、建造が遅れていました。

※1: MHDDとは不良セクタの検査用ソフトで、HDDの全セクタを走査して各セクタ(ブロック?)の読み込み時間を収集するソフトです。50[ms]以上がモリモリ出ると不良品か寿命です。最近というか、AFTになった頃辺りからはこの試験やってないです。

 まぁ、要はメモリとHDDが不良品だったんですね。不良品は交換してもらわないといけないので、この事件があった06月08日に秋葉原に行く予定を立ててました。06月07日は土曜日でしたが色々予定があって行くことが出来ませんでした。

 この当時はよく一緒に秋葉原に行っていた友人(※2)がいて、特に理由がなければなければ06月08日の大体11時ぐらいに集合して一緒に行く予定でした。まぁ、後述のせいで約束してませんでしたが。

※2: ちなみに12号機を一緒に組んだ友人と同一人物。

 で、その秋葉行く予定ですが、前日の06月07日に飲み過ぎてしまって、残念な感じに潰れてしまいました。なんとか家に辿り着いて目が覚めたら、すでに事件が起きたあとの13時過ぎでした。

 目が覚めて『なんか携帯に着信とメールがやったら多いな。誰か亡くなったのかな?』と寝ぼけながら確認すると、心配した親や友人からの大量の着信でした。
 最初はよくわかりませんでしたが、上記の友人から「秋葉原で大変なことになってるよ」って言われてネットか何かで確認したら、秋葉原で通り魔事件があったことを知り、大量に着信があった理由を把握しました。

 まぁ、要するに前日酔いつぶれていなければ時間的にほぼ間違いなく事件に巻き込まれてたってことですね。危なかったです。まぁ前日のは潰れたと言うか実際は酔い潰されたというのが正しいんですが、結果的には助かりましたね。
 ぶっちゃけベンチで寝てた時は死ぬかと思いましたが、道路か担架の上で死ぬかと思ってたor死んでた可能性があるよりは全然マシだったと言うことですね。

 そして、その事件があった時間帯は二日酔いで寝てた(事実上音信不通になっていた)ので事件に巻き込まれてないかとめちゃくちゃ心配されました。親に会うと「あの時はすごく心配したんだぞ。」って今でも言われます。

 後日談というか余談ですが、15号機の建造は急いでいたので、この事件発生後、事件は見なかったことにして、その当日に前述の友人と秋葉原行って不良品パーツを交換しました。

 事件日に交換されたパーツというと何かいわく付きな感じがしなくもありませんが、特に問題なく試験はパスし、15号機は無事06月14日に落成しました。現役だった約8年間も特に大きな問題もなく2016年の引退まで普通に安定稼働してました。まぁCPUがVIA C7なんで遅かったですが。

 そして、事件の後に当日秋葉原に行ったことを聞いた私の父が「事件後に行くなんて何考えてるんだ!」と激おこ憤慨丸だった、と後に母に聞かされました。

失敗の自由研究

 今日は私の昔話です。

 私がまだ子供だった時分は概ね今日ぐらいの時期から夏休みでした。そして私も当時の他の小中学生に漏れず自由研究という宿題がありました。

 まぁ自由研究というのは酷い宿題だと思います。研究というのはそれ自体が生業になるぐらいの行為なのに、学校では研究とは何かを1ミリも触れず家庭に丸投げですからね。個人的には研究について、学校で一定のルールは教えるべきだと感じます。まぁ時代が違うので今はちゃんと教えるのかもしれませんが。 

 さて御宅は置いといて本題です。私も中学1年の時、理科の“夏休み宿題”で自由研究の宿題がありました。
 小学校の自由研究はゴミみたいな工作でお茶を濁してましたが、中学生になると理科の課題として出ます。要はそれなりに科学的な内容を求められます。つまりゴミみたいなオブジェ作ってお茶濁せないというわけですね。

 まぁ、結局ゴミみたいなオブジェを作ってしまうんですが。

 当時、自由研究の課題があると知った親が、参考になるような本を買ってきてくれててました。親にはこのブログは見せてませんが、親には感謝ですね。わざわざ金出して楽な道を用意してくれてたわけんですからね。
 しかし、「丸パクリは価値(オリジナリティ)がないので嫌だ」って言う謎のポリシーは今も当時も健在だったので自分の頭使って捻り出して考えました。

 そして熟考と言えるに足る十分な時間を使って考えたテーマは「雑草の押し花を作って、名前や科を調べよう」と言うものでした。
 コンセプト(テーマ)は「普段は見向きもしない雑草(草花)にも名前とかはあるはずなので、調べて分類してみよう」だったと思います。

 今思い返すと数十に満たない雑草を単に分類した所で、一体どのあたりが研究なのかサッパリなわけですが、中学1年の12歳だか13歳のYuaiho少年はオリジナリティ溢れるナイスなコンセプトだと思ったわけですね。まぁ浅はかでしたねぇ。

 結果としてはやって激しく後悔しました。

 まず押し花作る時点で大変でした。押し花作る工程も大概面倒臭いんですが、その前段の「重複せずに集める」のがクッソ大変でした。大体、今でも開花してないたんぽぽとなずなの違いを素で出されて「見分けろ」と言われても難しいです。
 そんなレベルで、それまで大して植物に興味もなければ、見向きもしかなかった雑草を見分けるのは至難の技でした。

 調べて分類のはもっと大変でした。皆さん日本の野草って何種類あると思いますか?20〜30ぐらい?いいえ、図鑑にあるだけでも400種類以上あります。
 400種類ならなんとかなりそうな気もしますが、野草図鑑(雑草図鑑)は花が咲く時期で分類されています。
 しかし、集めた野草の花が咲いているとは限りません。その時たまたま咲いてないのか、季節外れだからかわかりませんが、花が咲いていない雑草はごく普通にあります。というか咲いてる方が少ないです。まぁ咲いてるんだか何だかよくわからない雑草もありますけど。

 当時はカメラや画像からいい感じに検索してくれるようなスマートな検索エンジンもデバイスもありませんでした。よって調べ方と言えばサンプル(押し花)片手に図鑑全ページに総当たりかけて調べるしかないわけですね。今はいい時代ですね。
 
 もちろん、その図鑑に手元の調べようとしている草花が掲載されている担保はどこにもないわけで、1サンプル探すだけで1時間近くかかった記憶があります。押し花は30サンプルぐらい作った気がするので、めっちゃ時間かかりました。
 幸い祖母が野草をよく知ってたので知識借りて(チート)で半分ぐらいは埋めましたが、それでも2〜3割は「不明」とか「図鑑になかった」のようなひどく雑な記載で提出したと思います。

 そして苦行・苦心の末出来た成果物は科と名前だけ書かれた“押し花帳”(2〜3割は「不明」とか「図鑑になかった」のようなひどく雑な記載有り)という実に映えないものでした。別に植物研究家の方をdisる気は毛頭ありませんが、少なくとも目を引くような、(苦労の割に)頑張った感のある内容ではなかったです。まぁ、想定も考察も何もなかったですからね。

 そして、私の映えない成果とは対照的に、優秀なクラスメイトはA0ぐらいの模造紙一杯にフルカラーで高校生とも見紛うような内容を出していたのとは雲泥の差でした。
 それどころか、如何にも手抜きしそうなクラスメイトがやっぱり予想通りA4の白紙3枚ぐらいで手間・コストを最小で作って纏めた実験レポートの方が、今考えると私の単に「押し花帳作って名前調べました。以上」みたいな不出来な内容よりも遥かに理科的・科学的でした。
 始業式の私の心は2学期開始からして既に、ヘルマン・ヘッセ作の「少年の日の思い出」の後半あたりで出てくるクジャクヤママユみたいでしたね。

 これが私の中学時代の自由研究でした。

 このパッとしない成果物(押し花帳)ですが、今でも実家の部屋の隅で眠っています。まぁ見返しても汚いですし、残念な感じしかしません。

 苦労の割に残念な結果に終わった自由研究ですが、今でもコンセプト(だけ)は良かったと思います。普段なら見過ごしてしまうものに着目すると言うのは研究のあり方のひとつだと思ってます。

 中学1年の終わりで理科の先生が代わってしまい、その後自由研究という宿題はありませんでした。中学時代に戻ってみたいと思うことがないわけではありませんが、自由研究は二度とやりたくないです。